千葉地方裁判所 平成元年(わ)1118号 判決 1991年3月29日
主文
被告人を懲役一年二月に処する。
未決勾留日数中、右刑期に満つるまでの分をその刑に算入する。
訴訟費用は被告人の負担とする。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は、革命的共産主義者同盟全国委員会(中核派)の構成員であるが、千葉県収用委員会委員であるAにその職を辞させるため、
第一 昭和六三年一〇月九日午後九時四〇分ころ、千葉県千葉市《番地省略》A方に電話をかけ、同人(当時六六歳)に対し、「農民から土地強奪する、それが土地収用委員会の仕事だよ。それに対してBはやられたんだよ。」
「あなたが、Bさんの事態を見て反省しなければ、同じようなことがあなたに起こるということについて自覚すべきだね、わかったかい。」「土地収用委員会を辞めなければ、Bと同じ事態になるということだけを伝えたかったんだよ。」などと申し向け、同人が委員を辞職しないときは同人の生命、身体等にどのような危害を加えるかも知れない旨告知して同人を脅迫し、
第二 同月一一日午後五時三〇分ころ、前記A方に電話をかけ、同人の妻C子(当時六五歳)に対し、「身に危険がふりかかっても知らないよ。」「同じようなことだよ、Bさんと。」「収用委員全部に警告しているんだよ。」「辞めさせろよ、辞めないと本当にやるよ、我々は。」「あなたのご主人がやられないうちに辞めさせろ。」「じゃ、災いが降りかかっても仕方ないということだな。」「力に対して力でかかるだけの話だからね。」「ご主人にそう言いな、近いうちにそういうことがもう一回起こるということについて、警告しておくから、わかったな。」などと申し向け、同女をして、右Aにその旨知らしめ、同人を前同様脅迫し、
第三 同月二一日午後七時一八分ころから同日午後八時二三分ころまでの間、三回にわたり、前記A方に電話をかけ、前記C子に対し、「どうするつもりだって言ってる、収用委員会。」「おやじさんまだ辞めるつもりないって。」「辞めるつもりはないってことだけわかればいいんだよ、そうなのかい。」「おやじさんに収用委員会辞めてくれってこっちが言ってるんだよね。」「なんで辞めないんだ。」「だったら辞めさせろよ。」「とにかくおやじに収用委員会辞めろというふうに伝えてくれよ。」などと申し向け、同女をして、前記第一及び第二記載の言辞により畏怖している右Aにその旨知らしめるとともに、その間同人に対しても、「どうなりました、委員会辞めるってこと。」「辞めるつもりはないわけね、辞めないわけね。」「辞めないのかどうか聞いてんだよ。」「あなたどうするんだ、意思さえはっきりすればいいよ。」「辞めないつもりだな。」などと申し向け、同人を前同様脅迫し、
もって公務員をしてその職を辞させるために脅迫したものである。
(証拠の標目)《省略》
(争点についての判断)
第一秘密録音テープの証拠能力について
弁護人は、三里塚闘争会館の捜索差押時に立会人となった同会館在住者の音声を秘密に録音したテープは、プライバシーを侵害し、令状主義を踏みにじる重大な違法を侵して収集された証拠であるから、証拠排除をすべきである旨主張するので、判断する。
一 秘密録音の経緯及び状況
証人D(第三、四回公判)及び同E(第三、第四回公判)の各供述によれば、以下の事実が認められる。
昭和六三年一一月二五日に、警視庁が、千葉県収用委員会委員等に対する暴力行為等処罰に関する法律違反の罪で三里塚闘争会館を令状に基づいて捜索差押をした際、Dら七名の千葉県警の警察官が警視庁の捜査共助の要請に基づいて館内の案内等のために同行し、その際、Dは上司から命ぜられて同僚一名とともに右捜索差押に当たって同会館に在所する中核派活動家の音声を録音する任務も担当し、ネクタイピン型のマイクを自己着用のネクタイの真ん中に装着し、小型録音機を小型バックの中に携帯して、同会館内の各所で立会人となった被告人ら七名の中核派活動家の音声を同人らに気付かれないようにしてカセットテープに録音した。また、同年一二月二二日に、千葉県警が、本件職務強要事件等について同会館を令状に基づいて捜索差押をした際、D及びEは上司の命を受けて同僚五名とともに右捜索差押に当たって右会館に在所する中核派活動家の音声を録音する任務を担当し、Dは、ネクタイピン型のマイクを自己着用のネクタイの真ん中に装着し、小型録音機を図板の裏側の物入れ内に携帯して右会館の一階で立会人をしていた被告人ら四名の中核派活動家の音声を同人らに気付かれないようにしてカセットテープに録音し、Eは、小型録音機を図板の裏側の物入れ内に、ネクタイピン型のマイクをその物入れのチャックにはさんで右図を携帯し、同会館に在所していた被告人ら三名の中核派活動家の音声を同人らに気付かれないようにしてカセットテープに録音した。
二 秘密録音の適法性
一般に、対話者の一方当事者が相手方の知らないうちに会話を録音しても、対話者との関係では会話の内容を相手方の支配に委ねて秘密性ないしプライバシーを放棄しており、また、他人と会話する以上相手方に対する信頼の誤算による危険は話者が負担すべきであるから、右のような秘密録音は違法ではなく、相手方に対する信義とモラルの問題に過ぎないという見方もできよう。
しかし、それは、相手方が単に会話の内容を記憶にとどめ、その記憶に基づいて他に漏らす場合に妥当することであって、相手方が機械により正確に録音し、再生し、さらには話者(声質)の同一性の証拠として利用する可能性があることを知っておれば当然拒否することが予想されるところ、その拒否の機会を与えずに秘密録音することが相手方のプライバシーないし人格権を多かれ少なかれ侵害することは否定できず、いわんやこのような録音を刑事裁判の資料とすることは司法の廉潔性の観点からも慎重でなければならない。
したがって、捜査機関が対話の相手方の知らないうちにその会話を録音することは、原則として違法であり、ただ録音の経緯、内容、目的、必要性、侵害される個人の法益と保護されるべき公共の利益との権衡などを考慮し、具体的状況のもとで相当と認められる限度においてのみ、許容されるべきものと解すべきである。
これを本件について検討するに、録音の経緯、状況は前述のとおりであって、千葉県収用委員会委員等に対する電話による脅迫事件について、三里塚闘争会館において令状により適法に捜索差押をする際に、その事件の犯人が中核派の構成員である容疑が濃厚であり、同会館内には右構成員が在所していたことから、右事件に関連する証拠として被告人を含む中核派構成員の音声を録音する必要があったこと、被告人は相手方が警察官であること及び右捜索差押の被疑事実の概要を了知した上で警察官との会話に応じていること、その会話は捜索差押の立会いに関連することのみでプライバシーないし人格権にかかわるような内密性のある内容ではないこと、録音を担当した警察官らは捜索差押担当の警察官に対する被告人の会話を被告人に気付かれないようにその側で録音していただけで、被告人に強いて発言させるために何ら強制、偽計等の手段を用いていないことが認められる。
以上の諸事情を総合すれば、被告人を含む中核派構成員らが本件犯行を犯したことを疑うに足りる相当な理由がある上、本件録音の全過程に不当な点は認められず、また、被告人の法益を侵害する程度が低いのに比し、電話による脅迫という事件の特質から秘密録音(わが国では、いまだこれに関する明文の規定がない。)によらなければ有力証拠の収集が困難であるという公益上の必要性が高度であることなどにかんがみると、例外的に本件秘密録音を相当と認めて許容すべきであると解される。
三 そうすると、本件録音は違法ではないから、各録音テープに証拠能力があることは明らかであり、弁護人の主張は理由がない。
第二被告人と本件との結び付きについて
弁護人は、本件脅迫電話の音声と被告人の音声とが「別人とは思えないほど非常に良く似た同声色音声である」とするF及び「同一人の音声である可能性が高い」とするGの両声紋鑑定について、声紋鑑定の確実性については未だ科学的に承認されたとはいえず、第三者の検討を可能ならしめる鑑定基準が不明であるから証拠価値がなく、また、本件脅迫電話の脅迫者と被告人とが同一地域の出身者であるとするHの言語学鑑定も証拠価値がなく、I子の検察官に対する各供述調書には特信性がなく、むしろ、本件脅迫電話の脅迫者と被告人とは別人であるとするJの声紋鑑定並びにI子及びKの各証言こそが信用できるから、被告人は無罪である旨主張するので、以下、それらについて判断する。
一 被告人と本件との関連性について
証人A及び同C子の各証言並びに押収してあるカセットテープ一本(平成二年押第七三号の1)によれば、昭和六三年九月二一日に千葉県収用委員会のB会長が何者かに襲われ鉄パイプで殴られたりして重傷を負わされ、その後の同年一〇月二日からほぼ連日のようにA方に対して右B会長襲撃事件に言及しつつ収用委員を辞任するよう求める旨の脅迫電話や書面等が来るようになり、同月九日、同月一一日及び同月二一日に本件各脅迫電話がA方に架電されたこと、その後の同月二四日にAは千葉県収用委員会委員の辞任願いを出して、同年一一月二四日に辞職したことが認められる。
また、右B会長襲撃事件について、中核派はその機関紙「前進」において、「革命軍は……九月二一日午後七時三分、千葉県収用委員会会長Bに収用委員会再開阻止の断固たる鉄槌を加えた。」「わが革命軍ははっきりと通告する。収用委員は全員辞職せよ!……強制収用を狙う収用委員はBと同じ運命となることを覚悟せよ!」との記事を掲載し、「中核派」という文字が印刷されている「日刊三里塚」にも軍報速報として「本日、九月二十一日午後七時三分、……千葉県収用委員会会長・Bに収用委再開阻止の断固たる鉄槌を加えた。」との記事を掲載して、B会長襲撃が中核派による犯行であることを自認しており、さらに機関紙「前進」には、「二期のための収用委再開・強制代執行策動を粉砕せよ」、「農民殺しの収用委会長に鉄槌」「収用委員は全員同罪だ、不正義謝罪し辞任せよ」、「収用委を実力解体せよ」などの記事が掲載されるとともに、「全収用委員に……電話を集中し、辞任させよう。収用委員会を実力で解体せよ!」として、A方を含む千葉県収用委員会委員らの住所、電話番号を記載した記事も掲載されていること、前記「日刊三里塚」においても、「収用委再開策動を実力で粉砕しよう」、「わが革命軍ははっきりと通告する。収用委員は全員辞任せよ!……強制収用を狙う収用委員はAと同じ運命となることを覚悟せよ!」、「中核派は……強制収用を絶対阻止する。……農民殺しの収用委員は辞任せよ。辞任しなければ総せん滅だ。」などの記事が掲載されていること、証人Aの証言によれば同人以外の千葉県収用委員会委員の自宅にも本件脅迫電話と同旨の脅迫電話がかけられていること、証人Lの証言によれば中核派以外のセクトの機関紙には収用委員会に対する職務強要を窺わせる記事は掲載されていなかったことなどからすれば、A方に対する収用委員辞任を求める一連の脅迫電話、書面等は中核派によって組織的に行われたものであり、本件各脅迫電話もその一環として中核派の構成員によって行われたものと推認できる。
一方、証人Lの当公判廷における供述によれば、被告人は昭和五五年五月ころから三里塚闘争会館に常駐しているところ、同会館には「中核」と書かれているヘルメットをかぶった者が常時監視していること、中核派のゲリラ事件に関して捜索を実施した時に同会館の在所者から中核派ではないという拒否はなく立会に応じていること、前記「日刊三里塚」の印刷の原板が同会館印刷室にあったことなどからすれば、同会館は中核派の拠点であり、被告人は中核派の構成員であると認めることができる。
二 声紋鑑定について
1 声紋鑑定の証拠能力
声紋鑑定とは、音声をサウンドスペクトログラフで周波数分析し、これを横軸に時間、縦軸に周波数をとって図形化して表示し、その表示化された紋様(声紋)を比較対照することによって個人識別を行うものである。
人の音声は、声帯の振動により生じた音声波が声道すなわち声門から口腔、鼻腔を経て唇、鼻孔にいたる際にいくつかの周波数に共鳴し、ある特定の音韻となって口から発せられる。音声の個人的特徴は、声帯の振動に関係する声の高さ、強さ、音色等と、声道での共鳴により生じたいくつかの協調された周波数成分(ホルマント)の周波数及びその帯域幅などに現れるから、この音声の周波数成分を図形表示し紋様化して表示したものには、各個人の個性が表れ、その紋様も個人ごとに異なることになる。したがって、その紋様化された図面に現れたホルマントと呼ばれる共鳴の強い部分の位置などを分析し、その特徴を対比することによって個人識別をすることができるという声紋鑑定の理論には合理性があり、現在においては長年にわたる声紋識別の研究とこれに使用する各種機器の発達により、声紋識別技術も向上し、検定件数も成績も上昇していることにかんがみれば、その検査の実施者が必要な技術と経験を有する適格者であり、使用した機器の性能、作動が正確であると認められるときは、その検査の経過及び結果についての正確な報告である鑑定には証拠能力を認めることができる。
2 そこで、本件各声紋鑑定について証拠能力を認めることができるか否か検討する。
(一) F鑑定について
証人Fの当公判廷における供述及び同人作成の鑑定書によれば、同人は、東京外国語大学音声学研究室で長年声紋分析の研究に従事し、声紋のサンプルも約二万件有しており、声紋鑑定の技術、経験は十分ある適格者と認められること、本件鑑定においても実験音声学の立場から本件脅迫電話の音声が録音されているカセットテープ及び捜索差押時の被告人の音声が録音されているカセットテープ中より多数の言葉を抜き出して、母音ごとにホルマントゾーンを確認し、さらに、母音から母音や子音を含めた母音への変化(渡り)など多くのポイントを検討して判断し結論を出すという方法を取っているが、個人ごとに母音のホルマントゾーンが異なることのみならず、渡りについても個人ごとに相違があるということは同人の長年にわたる研究や証人Gの証言から明らかであるから、右鑑定方法は合理的であると認められること、それらの声紋が良く似ており、その他別人であると窺わせるような分析結果も出ていないことから、本件脅迫電話の脅迫者と被告人は「別人とは思えないほど非常に良く似た同声色音声である」旨鑑定していること、本件鑑定に当たってのサンプル語の選択及びその数、声紋の特定、比較の方法等に問題はなく、機器(サウンドスペクトログラフ RION SG07)等も正常に作動していたと認められること、かつ、同人は、当公判廷において、声紋鑑定の理論や本鑑定の経過、結果について合理的で詳細な説明をしていることも併せ考慮すれば、その鑑定書の証拠能力及び証拠価値は十分に認められる。
(二) G鑑定について
証人Gの当公判廷における供述及び同人作成の鑑定書によれば、同人は、日本電信電話公社電気通信研究所音響研究室長、同武蔵野電気通信研究所G特別研究室長、東京大学医学部音声言語医学研究施設教授を経て、現在は工学院大学教授を務めており、昭和三〇年ころから長年にわたって音声情報処理の研究に従事していて学識が深く、声紋鑑定の経験は豊富であり、必要な技術を有する適格者と認められること、本件鑑定においても音声情報処理の立場から人の音声の周波数を分析するため本件脅迫電話の音声が録音されているカッセットテープ及び捜索差押時の被告人の音声が録音されているカッセットテープ中より「収用委員(会)」という比較的長く第四ホルマントまで収録されている言葉を始め、合計四個の言葉を抽出してそれぞれのサウンドスペクトログラフの各音声のホルマント(ホルマントローカスも含む)の位置及びその間の渡り方等を比較対照して結論を出すという声紋鑑定における一般的鑑定方法を用いており、ただ、録音が明瞭でないため声紋が十分に取れなかった部分もあることから、これらを考慮して、同一性の可能性について差異を設けた判断をし、結論として本件脅迫電話の脅迫者と被告人の音声は「同一人の音声である可能性が高い」旨鑑定していること、本件鑑定対象として用いたサンプル語の選択、声紋の特定、比較の方法等に問題はなく、機器(コンピューターApollo DN―3500)等も正常に作動していたと認められること、かつ、同人は、当公判廷において、声紋鑑定の理論や本件鑑定の経過、結果について合理的な説明をしていることをも併せ考慮すれば、その鑑定書の証拠能力及び証拠価値は十分に認められる。
(三) このように、F、G両鑑定書はそれぞれが異なった立場から声紋を分析して鑑定したものであり、本件鑑定に用いた各言葉は大部分が異なる所から抽出したもので、本件鑑定に使用した機器も前記のとおり異なっているにもかかわらず、両鑑定とも同一趣旨の結論であること、両鑑定者とも、鑑定の過程では数多くの語を抽出して検査分析し、その中から、発声の速度や強度、他人の音声や騒音の影響の有無等を考慮して声紋鑑定に最もふさわしいものを選んで鑑定資料としていること、いずれの鑑定においても、別人であると窺わせるような分析結果は出ていないこと、同一人である可能性についても、F証人は、本件各脅迫電話の脅迫者と被告人とが同一人でない可能性は五分の一の一〇乗(約九七六万五六〇〇分の一)である旨証言し、G証人は、本件各脅迫電話の脅迫者が同一人である可能性は九〇から九五パーセント、本件各脅迫電話の脅迫者と被告人とが同一人である可能性は八五パーセントである旨証言しているが、両鑑定者とも一方が電話録音であるとか、騒音などによって鑑定に使用できたホルマントが十分でなかったことから控え目な数字を出していることなどを考慮すれば、本件脅迫電話の脅迫者と被告人とが同一人である可能性は極めて高度なものに至っているというべきである。
弁護人は、F、G両鑑定については信用性が認められない旨種々主張するが、それらは証人F、Gの各供述等に照らしても理由がなく、むしろ弁護人が依頼したJ鑑定こそ、G証人が指摘するように、ピッチが大きく異なるとか広帯域雑音のあるサンプル語を抽出して比較したり、機器の操作に適切を欠いて声紋を濃く出しホルマントを見誤っている疑問があるなど信用できない。
三 言語学鑑定について
1 言語学鑑定の証拠能力について
話者の言葉の言語学上の特徴点(アクセント、音韻、語法、語い等)の異同の比較によって話者の出身地、同一性等を識別する言語学鑑定は、わが国の方言アクセントの研究が他国に比べて著しく進歩していること、人のアクセントが一般に五歳から一五歳の言語形成期に育った地域のアクセントを身につけて変動しにくいことなどにかんがみれば、言語学の専門的知識と技術を有する適格者による鑑定には証拠能力を認めることができる。
2 H鑑定について
証人Hの当公判廷における証言及び同人作成の鑑定書によれば、同人は昭和四三年から国立国語研究所で全国方言分布図の調査、作成、各地の方言の社会言語学的研究に従事し、同研究所言語変化研究部第一研究室長を経て、現在はフェリス女学院大学教授であり、言語学に関する著書も多く、日本のアクセント、方言について専門的知識を有していると認められること、本件鑑定においては本件脅迫電話の音声を録音したカセットテープ及び捜索差押時の被告人の音声を録音したカセットテープからそれぞれ多数の言葉を抽出して比較検討を加えた結果、その各カセットテープに収録されている音声は、「アクセント、ガ行鼻濁音等方言学、言語学上の共通点が極めて大きいことから、両資料の話し手が、同一方言地域の出身者である蓋然性が大きい。その地域は甲種アクセント地域、無型アクセント地域、東京アクセント(狭義)地域、鼻濁音地域を除く地域であり、更に、限定すれば、語中・語尾のガ行鼻濁音が「g」と「」の接触地域である蓋然性が大きい。これらを総合して考えると脅迫者の出身地域は……新潟県中部及び南部(佐渡島を含む)、群馬県、埼玉県、千葉県南部及び愛知県である蓋然性が大きい。但し、兵庫県北部、鳥取県東部、岡山県東部についてもその可能性を否定し難い。」旨鑑定していること、かつ、同人は当公判廷で言語学鑑定の理論、本鑑定の経過、結果及び弁護人から提起された種々の問題点についても慎重に極めて控え目な態度で詳細に合理的説明をしていることをも併せ考慮すれば、同人の右鑑定書については、証拠能力及び信用性を認めることができる。
そうすると、被告人は言語形成期を新潟県の佐渡島及び新潟市で生活して同地域のアクセントを身につけていると認められるところ、本鑑定とも符合している。
四 本件脅迫電話の音声識別に関する被告人の母親及び知人の供述について
1 被告人の実母であるI子は、証人として本件脅迫電話の音声が録音されているカセットテープを聴いた上、「被告人は、大学を中退後佐渡の実家に年に一回帰るか帰らないかという情況であったが、月に一、二回実家に電話をかけていた。カセットテープの若い男の声が息子(被告人)のものであるかどうかは肉声ではないからはっきりとはわからない。」旨供述し、他方、平成元年九月二〇日付け及び同月二二日付け各検察官面前調書によれば、「テープの一方の男の声は私の息子のMの声に間違いありません。具体的にどのような声の質であるからMの声であるというように表現は出来ませんが自分の息子であり本年八月一二日から本年八月一五日の夕方までMは盆で帰省し一諸に生活しており、またMは普段一月に二度くらいは私のところに電話をしてきており、Mの声を聞き間違えるようなことはありません。話の口調も私がMに組織を抜けるよう話をしたりしたときMはやはり早口で私を怒るように話をしておりそのような話振りからMの声に間違いないと思いました。」旨証言とは相反する供述をしていることが認められる。
そこで、同女の右証言と検察官に対する右供述のいずれが信用できるかについて検討するに、同女の検察官に対する供述調書のうち、九月二〇日付けは夫が隣室にいる同女方において、二二日付けは夫と共に来庁した新潟地検佐渡支部において、いずれも検察官が要点部分ごとに同女の確認を得ながら録取して読み聞かせた上、同女が異議を申し立てることなく署名押印している経緯及びその内容が具体的に記載されているのに比し、証言は息子が起訴され裁判の進行中に母親としての立場における供述であることなどの事情にかんがみれば、同女の証言よりは検察官面前調書の供述に特信性を認めることができる。
2 証人Kは、当公判廷において、本件脅迫電話の音声が録音されているカセットテープを聴いた上、「被告人は、カセットテープの脅迫者のような強い口調ではなく、もっと凹凸のない淡々としたしゃべり方をするし、脅迫者のように能弁ではない」として、脅迫者の音声は被告人の声ではない旨供述するが、同人が被告人と会話をするのは成田市議会の一般質問の質問要旨を作成するために被告人に筆記をしてもらう際のものであり、本件脅迫電話とはその会話の場面が異なっているのであるから、しゃべり方をもって脅迫者と被告人とが違うということは必ずしも根拠とならないこと、同人は被告人と脅迫者との声の高低、質などの明白な差異を指摘できていないこと、同人と被告人との会話の回数、時間もそれほど多くはないことなどからすれば、同人の右証言は信用性が低いというべきである。
第三結論
以上の次第で、前掲各証拠を総合すれば、A方に対する本件各脅迫電話の犯人は被告人であると認められる。
(法令の適用)
被告人の判示各所為はいずれも刑法九五条二項に該当するところ、所定刑中いずれも懲役刑を選択し、以上は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により犯情の最も重い判示第三の罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役一年二月に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中右刑期に満つるまでの分をその刑に算入し、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文によりこれを被告人に負担させることとする。
(量刑の理由)
被告人は、成田空港建設反対闘争の一環として千葉県収用委員会の委員である被害者個人に対し、辞職しなければ暴力攻撃に出る旨電話によって繰り返し脅迫行為に及んだものであり、かかる個人テロ的暴挙は法の支配する民主主義社会では到底許されない。また、その犯行態様も、組織的、計画的で、すでに何者かによって重傷を負わされた千葉県収用委員会のB会長を見せしめのごとく引合いに出し、組織の威力によって被害者に同様の危害を加える旨申し向けて執ように脅迫を続けており、被害者及びその家族に深刻な恐怖、不安を抱かせ、ついには他の同種事件等の続発もあって被害者を他の委員らと共に辞職に至らせた結果も重大である。その上、被告人は、これまで兇器準備集合罪等で二回いずれも執行猶予の付いた懲役二年六月及び懲役八月の判決を宣告されており、本件各犯行はその執行猶予期間経過後間もないうちに敢行されたものであることなどを考慮すれば、被告人は厳しく非難されるべきである。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 米澤敏雄 裁判官 林敏彦 田邊浩典)